ホーム > 社会が求める力と学校教育の乖離
  • 類塾の想い・沿革
  • 最先端の潮流
  • 類グループ紹介
    類塾ネット
    類塾からの最新のお知らせ

社会が求める力と学校教育の乖離〜今、子供たちに必要な教育の場とは?〜

社会が求める能力と学校の乖離〜今、子供たちに必要な教育の場とは?〜

    目次

  • 社会が求めているのは「追求力・創造力」
    • 社会で求められる力とは
      • 経団連の提言より
      • それを受けて文部科学省の動き【2020年教育改革】
  • 学校の現状
    • 学校は社会から切り離された特殊な場
    • 学校が作られた理由
    • 教えるほど奪われてゆく力
    • そこでの成績など、社会では全く通用しない
  • 大人が子供たちにできること
    • 子供を伸ばすには仲間と追求する場が不可欠
    • 成果目標の転換を提案
    • 保護者さまの声をご紹介
  • 【コラム】偏差値偏重・受験熱を加速する強制塾
  • 【番外編】習い事やスポーツ以上に求めらる能力とは

社会が求めているのは「追求力・創造力」

 なぜ勉強するのかと問われたら、「社会に出るため」「立派に働くため」とイメージされる方も多いですよね。では、実際に社会で求められる力とは、どんなものなのでしょうか。

経団連(日本経済団体連合会)は、実は14年も前から、教育改革の必要性を提言していました。

経団連の提言 経団連の提言
  • 経団連(日本経済団体連合会)が文部科学省に要望を突きつけた
    『21世紀を生き抜く次世代育成のための提言』骨子 (平成16年) 

    企業が求めるものは、「志と心」「行動力」「知力(追求力)」

    企業は内外での熾烈な競争の中にあり、特に、知恵で競い合う時代になっている。こうした中、産業界は以下の3つの力を備えた人材を求めている。

    • 第1に「志と心」である。「志と心」とは、社会の一員としての規範を備え、物事に使命感 をもって取り組むことのできる力である。
    • 第2に「行動力」である。「行動力」とは、情報の収集や、交渉、調整などを通じて困難を  克服しながら目標を達成する力である。
    • 第3に「知力」である。「知力」とは、深く物事を探求し考え抜く力である。

    現状はいずれも不足。大学が生まれ変わることを望む

    現状では、「志と心」、「行動力」、「知力」ともに不足していると言わざるを得ない。
    このような時代を生き抜く上で、自分で目標を立て、その達成に取り組む意欲を持続させ、試行錯誤するような体験を得ることができる機関に大学が生まれ変わることを望みたい。

    講義から対話型への転換に努めるべきである

    各大学が、人材輩出機関としてどのような役割を果たすかという点について特色ある方針を立て、加えて学生などによる授業評価を通じて授業の質の向上を図るとともに、授業形式の工夫(例えば、教員側からの一方的な講義から対話型の指導への転換など)に努めるべきである。

重要なことは、これが産業界、しかも大企業群からの要望であること。つまり、企業の採用基準は、強制されたことを素直に暗記してきた人物とはまさに正反対の人物なのですね。

これらを受けて文部科学省も動き出しています。

文部科学省も動く「2020年教育改革」経団連の提言
  • 動き出した教育改革

     産業界の要請を受けて、文科省は2020年、大学入試の大改革に踏み切り、学力の判断基準を大きく変えます。(図参照)
    大きくは知識を問う問題から追求力を問う問題へ。そして面接を導入。

    文科省が示す学力判断基準の比率

    文科省ホームページを参考に作成

     それに対応すべく、すでに小・中・高・大での指導や入試は変わってきています。
    全教科で討論や発表を通じた「主体的・対話的で深い学び」(グループ追求)による授業改善が行われていることに加え、高校では「古典探究」「理数探究」「日本史探究」「世界史探究」などの探究型授業が各教科に新設されることになり、今後は「教科を超えた探究的な学習」も一層重視される方向です。
     2017年の大阪公立入試の数学では、トップ4校の受験者平均点が90点満点中30点というショッキングな数字で、これは従来のパターン暗記や問題演習の徹底反復では30点しか取れない・残り60点は本物の追求力がなければ取れない時代がきていることを現しています。

学校の現状

その一方で、学校の現状です。

学校は社会から切り離された特殊な場

 学校はナポレオンの時代に徴兵制の一環として作られました。ですから明治政府が学校を作る際も、軍隊をモデルにしています。朝礼や制服やランドセル(兵隊の背のう)もその名残ですが、何よりも問題なのは、学校の目的が軍隊のように命令に従順な国民を作ることにあり、従って「先生(上官)の命令は絶対」となっているところです。

 学校は未だに何の役にも立たない5教科の勉強を強制していますが、このことこそ学校の目的が能力育成ではなく従順な国民を作るためであることを証明しています。だから、先生の命令を絶対とする軍隊式教育は、子供の追求力や創造力をとことん奪ってゆきます

 実際、学生の大半は意欲も追求力も失っており、それでは全うな能力が育つわけがありません。それでは使い物にならないので、企業が一から鍛え直すしかありません。社会から見れば、学校は異常な空間なのです

強制により意欲・追求力を封鎖

学校イメージ

 先生の命令を絶対とする軍隊式教育は、その強権に基づく試験と内申で生徒を従順に飼いならしてゆきます。現に、定期テストを1〜2回経験するだけで全ての生徒が「成績第一」に収束し、点を取るための勉強しかしなくなって、最も大切な「これは何?何で?」という追求心を封鎖してゆきます。こうして自分の頭では何も考えられない生徒が大量生産されますが、実はこれこそが軍隊式教育の目的なのです。 しかも子供は、学校の勉強が役に立たないことを見抜いており、意欲が出てきません。これでは、成果が出る訳がありません。

 だから勉強の強制は子供を苦しめるだけで、成績も上がりません。

 軍隊式教育によって成績しか頭にない暗記脳に染め上げられ、意欲も追求心も失ってしまった生徒は、もはやどうにもなりません。産業界で「東大・京大卒は使い物にならない」と言う声が広まってきたのも当然です。

 これまで親の期待に応えて「成績第一」で生きてきた生徒には、もはや負け組サラリーマンという選択肢しか残されていないのです。

教えれば教えるほど、生徒は無能化する

 教えてもらえば分かった気になりますが、すぐに忘れてゆきます。つまり、教えてもらうだけでは定着しません。しかも、教えて貰わないと自分では何も考えられないマニュアル人間になってゆきます

 基礎中の基礎である「言葉」を赤ん坊が吸収してゆく過程を思い起こしてください。赤ん坊と同じで、自ら内発的に全能力を動員して追求しない限り、何事も身に付きません。職人が親方を真似して吸収してゆく過程も同様です。江戸時代までは、農民も町民もそうでした。それと比べて、学校教育が始まって以降、ひたすら「教えて貰ってきた」日本人の能力の劣化は明らかです

 例えば、幼い頃からプリント演習をやらせると、子供は暗記脳になって追求力や発想力などの基礎能力が封鎖されてしまいます。更に小学生から中受塾に通わせると、その暗記脳が強固に固まってしまうだけではなく、課題を与えられないと自分では何もやれない指示待ち人間になってしまいます

 また、集団に馴染めないからと個別塾に行かせると、集団の中で生きてゆく力は永久に養われません。学校でも職場でも合わない人はいます。でも、合わないからと逃げていたのでは生きてゆけません

そこでの成績など、社会では全く通用しない

 現に社会に出れば、学校の成績など誰も問題にしません。すでに学歴信仰も崩壊しており、入社試験でも学歴など重視されていません。そんな学歴や成績のために勉強を強制したり、成績を管理し続けるのは膨大な無駄で、コスパ最悪です。

 しかも子供にそんな勉強を強制すれば、肉体的な拒絶反応が生じ、子供を苦しめるだけです。

 何より大切なのは、子供が元気で生き生きしていること。学校の成績など棚上げにして、もっと生き生きさせてあげませんか

まとめ

このように、学校の育てている人材と、社会が求めている人材像の乖離が進む一方なのが日本の教育体制の現状なのです。(下図参照)

社会が求める能力と学校教育の乖離

 社会の人材需要と学校の人材供給が噛み合っていないのですね。志ある先生ももちろんいらっしゃるのですが、そもそもの学校の成り立ち・構造が実社会と対立してしまっている状況がある。その歪みの狭間で苦しんでいるのは子供たちです。

 今、社会が求めているのは、『みんなで追求する力』。一人ではなく、みんなで追求し、創造していく力です。

矢印

だから類塾は、社会が求める力を鍛える「グループ追求型授業」を開発。
社会が求める「追求力・想像力」を育む「最先端の寺子屋: 天才教室」を開講しています(天才教室は4〜5人の追求チームの集合です)

大人が子供たちにできること

子供を伸ばすには
仲間と追求する場が不可欠

活力源は仲間、みんなで追求する充足

類塾のグループ追求

 昔、みんな貧しくて物がなかった時代は、物を手に入れないと生きていけないという絶対的な強制圧力がかかっていました。だから、いい生活を手に入れるというのが最大の目標であり活力源でもあり、その為に、誰もがかなり主体的に勉強していました

 しかし、みんなが豊かになり物があふれる時代になると、「物を手に入れなければならない」という強制圧力がとことん衰弱してしまい、「いい生活を手に入れる」というのは目標でも活力源でもなくなっています。従って、勉強しようという主体的な意欲は、ほぼゼロにまで低下してしまいました

 現代の子供の活力源は仲間との充足、とりわけ重要なのは仲間と追求する充足です。ですから、それらの活力源を封鎖してくる勉強の強制圧力に対しては強い拒絶反応が生まれます。そして、その拒絶反応は社会が豊かになるにつれて、どんどん強くなっています。

 逆に子供たちの活力源=仲間と追求する充足は、社会が求める追求力や発信力と見事に重なっています。つまり、『仲間と追求する場』こそ、子供たちの意欲と追求力を再生し、社会を活性化させる唯一の突破口なのです

成果目標を転換するだけで、親も子も解放される

 40年以上に亘って子供たちを見てきた類塾だからこそ、ここ3〜4年の子供たちの活力・追求力の衰弱ぶりは、尋常ではないと断言できます。今や、成績に捉われ、役に立たない勉強を強制しているときではありません。

 本当に子供の将来を考えているなら、当然、生きる意欲や、仲間世界で生きてゆく関係能力や、赤ん坊の頃に持っていた追求力を再生することが、何より大事となる筈です。それを捨象して「成績が第一、仲間関係は二の次」というのは、子供の将来のためではなく、子育て不安と成果不安に囚われた母親の見栄=エゴにすぎません。本当に子供の将来のために必要なのは何なのかを、良く考えてみてください。

 それに、お母さんも嫌いだった勉強を教えるのは大変で、大抵は、お手上げです。それに対して、仲間世界を生きてゆく智恵なら、母親が教えられることが沢山あります。まして、一番大事な意欲と追求力の再生はもっと簡単で、お母さんは子供のやりたいことを受け入れて応援してあげるだけで充分です。ですから、何であれ子供のやりたいことを肯定して受け入れてあげてください。いずれ子供は、別のもっとやりたいことを見つけてゆく筈です

 要は、成果目標を「成績」から「生き生き」に転換させれば良いだけです。それだけで母親も子供も、共に成果不安から抜け出せます。そして、子供を管理するのを止めて、応援してあげるだけで、子供は見違えるように元気になり、生きる意欲と追求力を再生してゆくに違いありません。

保護者さまの声「類塾にしてよかっった!」

以前に通っていた中受塾は成績でのクラス分け。「上位クラスに上がるため」と大量の宿題をこなしていた娘が、拒絶反応を示すようになりました。塾へ行きたくないと泣く娘を前に「このまま嫌なことをやらせ続けたら、おかしくなる。成績ヒエラルキーが全てと信じて、成績≒点数しか見えなくなる。」と感じました。

そんな時に点数第一主義と正反対の類塾の考え方に出会い、転塾をしました。

私自身、いまだに「成績が・・・」という過去の価値観に縛られてしまうこともありますが、類塾に行く日は「今日はどんな課題をしようかなぁ」と朝からご機嫌な娘を見て、「あっ、娘はこんな笑顔をしていたんだ、大事な人間力を忘れていた!」とハッとさせられます。娘には、何であれ、自分が楽しんで面白く、信念をもってやれる仕事をみつけて欲しいと願っています。 (新小5年女子 母)

受験熱を加速させる強制塾

偏差値偏重や受験競争を加速している塾の現状もご紹介します。

強制に頼るカルト塾の洗脳教育

 子供たちの勉強離れが増え続ける中、詰め込み型の強制塾はますます強い勉強圧力を加えて生徒を追い込んでゆき、その結果、強制塾は次第にカルト集団化してきました。

 とことん成績不安を煽った上で「信ぜよ、さらば救われん」と誘導してゆく手法はカルト集団そのもの。生徒は辞めれば「地獄に落ちる(落第者の烙印を押され、罵られる)」ので、辞められません。そうなってしまった子供の洗脳を解くのは極めて困難になります。

 しかも多くの強制塾は生徒がどれだけ追い詰められようがお構いなし。悪質な塾は、生徒にトップ校を無理矢理受験させ、大量の不合格者を出して知らぬ顔を決め込んでいます。

 元来、教育は生産者を作り出すためにあります。従って、教育は常に生産と一体でした。例えば農家は一つの生産体であり、学校などなくても、健全な子供たちが育ってきました。ところが、現在のサラリーマン家庭には生産過程がありません。従って、教育を学校などに外注するしかない構造下にあります。

 しかし、どうせ外注するなら、子供の生きる意欲と追求心を再生してくれる、まともな教育機関に委ねる必要があります。

 強制塾を選ぶか、天才教室を選ぶかで、子供の才能と将来が決まります。それほど、塾選びは重要な分岐点になっています

 考えてみてください。親が子供に期待しているのは、何が起きても生き抜いてゆく力や、仲間をまとめてゆく力であって、決して目先の成績などではない筈です。

【 番外編 】習い事やスポーツはどう?

 学校・受験制度の話とは位相が違いますが、社会が求める力は、習い事やスポーツで身につく力とも異なってきます。

 スポーツや習い事以上に求められる能力こそ、仲間と追求する力なのです。

 習い事は、情操面の育成に有益ですが、万能ではありません。個別塾と同様に、『みんなで追求する力』は身に付かないという欠点があります。どれだけ沢山の習い事をやらせても、その力は得られません。 それを補うのが新しい寺子屋・天才教室です。

 又、スポーツは心身の鍛錬に有益ですが、社会が求めている追求力や発想力は鍛えられません。その追求力や発想力を鍛えるにも、天才教室が最適です。

資料請求・お問合せ
ページの先頭に戻る