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子供を伸ばすには?

母親の不安とイライラは、子供が思い通りにならないから

子供は内発的な能力欠乏の塊で、赤ん坊の頃は誰にも教わらずに言語能力を習得し、次に遊びの中で、誰にも教わらずに関係能力や追求能力を身に付けてきました。そこには「ああしろ、こうしろ」は、一切ありません。むしろ、上からの「ああしろ、こうしろ」は子供の自立的な能力形成を妨げるので、子供は全身で反抗します。それは当然で健全な反応です。
例えば、子供に「勉強しなさい」といくら言っても、思い通りにはなりません。それは、学校の勉強が役に立たないことを現代の子供たちは見抜いているからです。
ですから、役に立たない勉強をしろと言われても、エネルギーが湧いてきません。実はエネルギーがゼロに近いのに勉強を強制され続けるのは、子供にとって死ぬほど苦しいことなのです。(実際、「死にたい」と口にする子が増えてきています。)
それは、教育に名を借りた虐待に他なりません。何より、子供がかわいそうだと思いませんか?

子供は外遊びなら喜んでやる。しかも、その方が子供の能力は伸びる

子供は勉強が嫌いです。我々もそうでした。ところが、外遊びなら喜んでやります。しかも、遊びを通じて関係力も追求力も、さらには体力も、必要な全ての能力が形成されてゆきます。
現に社会に出て伸びる人、活躍している人は、例外なく子供のころに夢中になって遊んできた人たちです。逆に、勉強しかしてこなかった人は、ほぼ使い物になりません。
ですから、必要なのは勉強ではなく追求なのです。(経団連が求めているのも、志と追求力です。)ですから、勉強させるのではなく、子供のやりたいことを応援してあげるだけで良いのです。その方が子育てが上手くゆきます。その方が子供が伸びますし、何より子育てで苦しむこともありません。

社会が求めているのは志と追求力

経団連が文科省に要望

企業が求めるものは、「志」「行動力」「知力(追求力)」。現状は全く不十分。大学が生まれ変わることを望む。
例えば、授業形式も一方的な講義から、対話型(課題に向かってチームで取り組む指導など)への転換に努めるべきである。
(「21世紀を生き抜く次世代育成のための提言」骨子(平成16年)より )

経産省も提言

「何のために学ぶのか」という志を持たずに、教科書や問題集という与えられたレールに乗って勉強してきた人が、「課題を自ら発見し、解決する」という現実課題を前に、立ち往生するのは当然である。
学校を、「画一型・一斉型」授業や「学力テストで点をとる能力」を獲得する場から、「社会でそのまま通用する力」を身に付ける場へ。学習スタイルも運営の方法も、「(成果を出せる)社会人の仕事手法」に近付けていく必要がある。
(「経済産業省『未来の教室』と EdTech 研究会第1次提言(平成30年6月)」要約)

教える教育が生徒を無能化していく仕組み

大阪の学力は全国最低レベル。なぜか?

無能な教師ほど強制力に頼って子供を従わせようとします。彼らは、子供の気持ちを分かろうともせず、「ノートを取れ」とか「大量の宿題をやれ」と、命令し続けています。とりわけ、強制して詰め込むしか能のない強制塾は、とことん成績序列の圧力を加えて大量の宿題をやらせ、「ついてこれないのは、お前が悪い」と己の無能さを棚上げにして子供に責任を押し付けて終いです。これでは、ますます子供を勉強嫌いにするだけです。
とりわけ大阪は、そのような強制塾が幅を利かせており、その結果、大阪の学力は全国最低レベルです。なぜそうなるのか?それは、強制圧力によって、あまりにも子供の活力が衰弱してしまった結果、集中力ダウン→理解度ダウンとなり、強制して詰め込むほど成績が下がってゆくからです。

教える教育は「内発」の成長原理に反している

学校教育が始まって、たった130年で日本人の言語能力はどん底にまで劣化してしまいました。また、経団連も指摘しているように、学生の追求力もどん底にまで衰弱しています。
なぜか?それは、学校の教える教育が、生命の成長原理に根本的に反しているからです。
上から教えられたことは、ほとんど肉体化されないので身に付きません。身に付くのは自分の頭で(=内発で)追求した認識だけです。ですから、「教えたら分かる」というのは錯覚で、それは、分かったつもりになっているだけです。
ところが教える教育の結果、教えてもらうのが当然(→教えてもらわないとできない)という意識が蔓延ってしまいました。しかし、現在は追求力の時代。社会に出れば答えのない問題ばかりです。決められたことに従うだけの順応回路では全く対応できません。

    

もはや学校は終わっている

もう「いい生活⇒いい大学」では意欲がわかない

みんな貧しかった頃は、誰もが「いい生活」を求めて、私権(お金や地位)の獲得に向かいましたが、豊かになり物が有り余る時代になると「いい生活」はもはや目標にならなくなり、私権獲得の活力はどんどん衰弱していきました。
そうなると、私権を獲得するための地位=学歴の価値もどんどん下がってゆきます。今や学歴を採用や昇進の基準にしているのはよほど古い体質の時代遅れな企業だけで、将来性のある先進的な企業で学歴を基準にしている企業など既に存在しません。
学校や塾は相変わらず学歴・成績第一と脅し続けていますが、騙されてはなりません。現実を直視してください。
子供に必要なのは、何があっても生き抜いていく力であり、成績ではありません。

学校の勉強は役に立たない

それは実社会に出て誰もが思うところですが、なぜ役に立たなくなってしまったのでしょうか?日本が豊かさを実現したのは50年前。そのとき同時に、豊かさの実現へと人々を導いてきた西欧観念も見捨てられ、それ以来、無思想・無気力・無関心が広がり続けて、今や日本人の活力はどん底(世界最低ランク)まで下がってしまいました。
ところが、学校は相変わらず、とうに見捨てられ何の役にも立たなくなった西欧観念を教え続けています。これでは、勉強意欲がわかないのも当然です。
それに対して、遊びや仕事を通じて意欲と追求心を再生していくのが、「遊学舎」「幼小科」「探求科」や「仕事塾」、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎:全日制の類学舎です。

西欧科学と西欧思想は狂っている

しかし、西欧観念が見捨てられた真の理由は、西欧観念が孕む重大な欠陥にあります。例えば、後のことは全く考えずに作るだけ作って、至る所で環境を破壊してきた等、西欧科学はまともではありませんが、それは常に目先の利益だけを追求し、それ故に常に頭の中だけで都合の良い(都合の悪い事象は捨象した)公式を作ってきたからです。
また、自由・平等・博愛も、頭の中だけの綺麗事です。
このように、教科書を貫く西欧科学と西欧思想は、現実から目をそらした架空観念(頭の中だけの綺麗事)に過ぎません。それは、一貫して現実を対象化してきた生物の摂理に反する狂った観念です。
新しい可能性の実現に向かうべき現代、常に架空世界に向かうその思考ベクトルは、役に立たないだけでなく、人々を思考停止状態に陥らせ、無能化させ続けています。
今求められるのは、現実を対象化した事実の認識。それをみんなで追求するのが「探求科」です。

学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや監獄に近い

もはや役に立たなくなった勉強に対して、子供たちの肉体的な拒絶反応が急激に上昇してきたのは当然です。しかし、もともと学校は徴兵制の一環として作られ、軍隊をモデルにしています。つまり、学校は「校則は絶対」「教師の命令は絶対」という強制圧力によって成り立っています。従って、子供たちの拒絶反応に対しても、教師たちは専ら強権を行使して宿題やテストをやらせるしかありません。こうして、学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや学校はどうにもならなくなっています。しかも、この悪循環の中では、志のある教師から辞めてゆくので、教師の質も年々劣化しています。
それに対して、まずは意欲と追求心を喚起し、その活力と追求力をもって成績を上げてゆくのが「幼小科」や「探求科」や「本科」です。

学校は現実から隔離された閉鎖空間

赤ん坊は好奇心と追求心の塊で、みんな天才です。例えば言葉も周りと一体化したい一心で、ひたすら周りの真似をして吸収していきます。
次の10才までの子供の仕事は遊びです。実は、一昔前まで、子供の遊びは、ほとんどが大人の仕事の真似ごとでした。それは哺乳類の本能だからで、例えば子犬のじゃれ合いも、狩りの予行演習になっています。つまり、遊びは仕事に直結しており、遊びを通じて仕事に必要なすべての能力が形成されてゆきます。
それに対して学校は、仕事をはじめとする現実の圧力から隔離された(生物にとって)極めて異常な空間です。これでは、仕事能力をはじめ、現実世界を生き抜いてゆくのに必要な能力が、ほとんど形成されません。
生き抜いてゆく上で本当に必要な力を形成する場が、「遊学舎」「幼小科」「探求科」や「仕事塾」、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎“全日制の類学舎”です。