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もはや学校は終わっている。求められるのは新教育

社会で求められるのは、追求力と仕事能力

もう「いい生活⇒いい大学」では意欲がわかない

みんな貧しかった頃は、誰もが「いい生活」を求めて、私権(お金や地位)の獲得に向かいましたが、豊かになり物が有り余る時代になると「いい生活」はもはや目標にならなくなり、私権獲得の活力はどんどん衰弱していきました。
そうなると、私権を獲得するための地位=学歴の価値もどんどん下がってゆきます。今や学歴を採用や昇進の基準にしているのはよほど古い体質の時代遅れな企業だけで、将来性のある先進的な企業で学歴を基準にしている企業など既に存在しません。
学校や塾は相変わらず学歴・成績第一と脅し続けていますが、騙されてはなりません。現実を直視してください。
子供に必要なのは、何があっても生き抜いていく力であり、成績ではありません。

学校の勉強は役に立たない

それは実社会に出て誰もが思うところですが、なぜ役に立たなくなってしまったのでしょうか?日本が豊かさを実現したのは50年前。そのとき同時に、豊かさの実現へと人々を導いてきた西欧観念も見捨てられ、それ以来、無思想・無気力・無関心が広がり続けて、今や日本人の活力はどん底(世界最低ランク)まで下がってしまいました。
ところが、学校は相変わらず、とうに見捨てられ何の役にも立たなくなった西欧観念を教え続けています。これでは、勉強意欲がわかないのも当然です。
それに対して、遊びや仕事を通じて意欲と追求心を再生していくのが、「遊学舎」「幼小科」「探求科」や「仕事塾」、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎:全日制の類学舎です。

西欧科学と西欧思想は狂っている

しかし、西欧観念が見捨てられた真の理由は、西欧観念が孕む重大な欠陥にあります。例えば、後のことは全く考えずに作るだけ作って、至る所で環境を破壊してきた等、西欧科学はまともではありませんが、それは常に目先の利益だけを追求し、それ故に常に頭の中だけで都合の良い(都合の悪い事象は捨象した)公式を作ってきたからです。
また、自由・平等・博愛も、頭の中だけの綺麗事です。
このように、教科書を貫く西欧科学と西欧思想は、現実から目をそらした架空観念(頭の中だけの綺麗事)に過ぎません。それは、一貫して現実を対象化してきた生物の摂理に反する狂った観念です。
新しい可能性の実現に向かうべき現代、常に架空世界に向かうその思考ベクトルは、役に立たないだけでなく、人々を思考停止状態に陥らせ、無能化させ続けています。
今求められるのは、現実を対象化した事実の認識。それをみんなで追求するのが「探求科」です。

学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや監獄に近い

もはや役に立たなくなった勉強に対して、子供たちの肉体的な拒絶反応が急激に上昇してきたのは当然です。しかし、もともと学校は徴兵制の一環として作られ、軍隊をモデルにしています。つまり、学校は「校則は絶対」「教師の命令は絶対」という強制圧力によって成り立っています。従って、子供たちの拒絶反応に対しても、教師たちは専ら強権を行使して宿題やテストをやらせるしかありません。こうして、学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや学校はどうにもならなくなっています。しかも、この悪循環の中では、志のある教師から辞めてゆくので、教師の質も年々劣化しています。
それに対して、まずは意欲と追求心を喚起し、その活力と追求力をもって成績を上げてゆくのが「幼小科」や「探求科」や「本科」です。

学校は現実から隔離された閉鎖空間

赤ん坊は好奇心と追求心の塊で、みんな天才です。例えば言葉も周りと一体化したい一心で、ひたすら周りの真似をして吸収していきます。
次の10才までの子供の仕事は遊びです。実は、一昔前まで、子供の遊びは、ほとんどが大人の仕事の真似ごとでした。それは哺乳類の本能だからで、例えば子犬のじゃれ合いも、狩りの予行演習になっています。つまり、遊びは仕事に直結しており、遊びを通じて仕事に必要なすべての能力が形成されてゆきます。
それに対して学校は、仕事をはじめとする現実の圧力から隔離された(生物にとって)極めて異常な空間です。これでは、仕事能力をはじめ、現実世界を生き抜いてゆくのに必要な能力が、ほとんど形成されません。
生き抜いてゆく上で本当に必要な力を形成する場が、「遊学舎」「幼小科」「探求科」や「仕事塾」、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎“全日制の類学舎”です。

産業界も新しい教育を求めている

経団連に続き、経産省も提言

2004年には経団連が、それに続き2018年には経産省も文科省に提言を発表しています。

「経団連が文科省に要望」

企業が求めるものは、「志と心」「行動力」「知力(追求力)」

企業は内外での熾烈な競争の中にあり、特に、知恵で競い合う時代になっている。こうした中、産業界は以下の3つの力を備えた人材を求めている。
○第1に「志と心」である。「志と心」とは、社会の一員としての規範を備え、物事に使命感をもって取り組むことのできる力である。
○第2に「行動力」である。「行動力」とは、情報の収集や、交渉、調整などを通じて困難を克服しながら目標を達成する力である。
○第3に「知力」である。「知力」とは、深く物事を探求し考え抜く力である。

現状はいずれも不足。大学が生まれ変わることを望む

現状では、「志と心」、「行動力」、「知力」ともに不足していると言わざるを得ない。
このような時代を生き抜く上で、自分で目標を立て、その達成に取り組む意欲を持続させ、試行錯誤するような体験を得ることができる機関に大学が生まれ変わることを望みたい。

講義から対話型への転換に努めるべきである

各大学が、人材輩出機関としてどのような役割を果たすかという点について特色ある方針を立て、加えて学生などによる授業評価を通じて授業の質の向上を図るとともに、授業形式の工夫(例えば、教員側からの一方的な講義から対話型の指導への転換など)に努めるべきである。

「経産省も提言」

既存の教育は役に立たない。必要なのは、課題を自ら発見し解決する力

戦後の日本の教育は、高度経済成長や安定的な社会運営を支える上で上手く機能してきた。しかし、これからの社会は、予測不可能性が高まり、一つ一つの現実課題が複雑性と相互依存性を増す。これからの時代は、「今までの前提や常識」を疑い、「本質的な課題」を直視して解決する力が必要となる。
「何のために学ぶのか」という志を持たずに、教科書や問題集という与えられたレールに乗って勉強してきた人が、「課題を自ら発見し、解決する」という現実課題を前に、立ち往生するのは当然である。
学校を、「画一型・一斉型」授業や「学力テストで点をとる能力」を獲得する場から、「社会でそのまま通用する力」を身に付ける場へ。学習スタイルも運営の方法も、「(成果を出せる)社会人の仕事手法」に近付けていく必要がある。

重要なことは、これが産業界、しかも大企業群からの要望であること。つまり、企業の採用基準は、強制されたことを素直に暗記してきた人物とはまさに正反対の人物なのです。