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類塾
2023.05.11

【特別企画】ひきたよしあき×類塾「読解力と愉快力 〜みんなが笑って暮らせる国へ〜」第4話

目次

    3月25日に開催された類塾×ひきたよしあき先生特別講演会「親も子も話すこと、書くこと、自分が好きになる!〜言葉のマグネットで自分の言葉の世界をひろげよう〜」に先立って行われた、ひきた先生、齋藤 仁巳(株式会社類設計室 教育事業部 次長/文系講師)、山根 教彦(株式会社類設計室 経営統括部 経営企画課長/人材課長)との鼎談のもようを、5回にわたってお届けします。

    今回は第4話「言葉を駆使して生きる力/体と心と頭がつながった言葉/大谷翔平のどこが素晴らしいかということを僕たちは教えていかないといけない」です。

    左から、齋藤 仁巳 、ひきたよしあき氏、山根 教彦

    【目次】
    第1話 入試の先にある言葉の使い方/体験のストックをして、そしてそれを考えた経験があるか
    第2話 親は自分の子の良い点を探す力が発揮できているか/エールを贈る
    第3話 探求しよう/シンプルに自分が思ったことを書けることがだいじ/社会の中での読解力も身に着けたらもっと楽しくなるよ
    第4話 言葉を駆使して生きる力/体と心と頭がつながった言葉/大谷翔平のどこが素晴らしいかということを僕たちは教えていかないといけない ←いまココ
    第5話 イタリアの校長先生の言葉/好きな色を自由に決められることが勉強/みんなが笑って暮らせる国へ

    言葉を駆使して生きる力/体と心と頭がつながった言葉/大谷翔平のどこが素晴らしいかということを僕たちは教えていかないといけない

    ひきた 大学生の就活指導をしているとエントリーシートに「座右の銘」を書く欄があって、エリート校の学生たちは僕のところに「商社に行くには『一期一会』で大丈夫ですか?これでは弱いですか?」と質問にくるわけです。「いや、それはおまえの座右の銘だから」って言うんですけど、ネットを見ると「どこどこの会社に向いてる座右の銘」というのが出ている。だから、エリート校の就活生は座右の銘をいくつも持っているんです。

    ところが、大阪芸大の子たちに座右の銘を書かせると、「優しいね」って書いてくるわけ。これ座右の銘か?と思うんだけど、一緒に書かれた理由を読むと、「小学生のときにお母さんに優しいねと言われてとても嬉しかった。それからずっと優しいねで暮らしてきたのだけど、中学高校で優しいというのはすごくみんなにマヌケ扱いされて、いじめられてどうしようもなかった。だから、優しくあることなんてやめてグレたんだけど、大学に入ってから人に優しいねと言われたらやっぱり気持ちよかった。だからこれからは何があっても優しいねで行こう」って書いてあるんです。他方、「一期一会とどれがいいですか?」という子どもが僕の目の前に並ぶわけです。

    これ、どちらが社会性があるかということだと思うんです。一時的に、いい会社に入るところまではいけるかもしれないけど、その後どちらのほうが言葉を駆使して生きていく力が強いかという話になると、この2つはけっこう差があるような気がするわけですよね。いまの教育は探求するということがないから、言葉を駆使して生きる力を得ることができない。でもそれがないと、類塾さんの言う「生きる力、社会に出てからの強い言葉」というのはなかなか生まれないんじゃないかなと思っているんですよね。

    山根 これはよく弊社代表の阿部(株式会社類設計室 代表取締役社長 阿部 紘 氏)も言うんですが、体と心と頭がすっきりとつながった言葉がだいじなんじゃないかと。感じたこと、思ったこと、それがちゃんと言葉になる。

    ひきた ネットと頭はつながっているけど、体と心はつながっていないという。

    山根 そうなんですよね。そこがしんどくなっちゃう原因かもとも思う。それでどんどん情報量がいっぱいになっちゃって。

    齋藤 しかもネットというのはほしい情報にすごく早くリーチできて、そうするとその中だけでずっと言葉を回してしまう。

    ひきた そうですね。あと、僕、語彙力ということですごく感じるのは、ネットというのは極めて強い言葉を使いますよね。「完全敗退」とか「捏造」とかすごくきつい言葉で人を引っ張る。いまの子どもたちは、そのきつい言葉が恒常化しているのをずっと見ているわけです。そうすると、最初は気を引くために出てきた極めて強い言葉というものが、普通の言葉として口に出てくるようになる。しかも新型コロナの影響で、これはある中学校の先生が言っていたんですけど、マスクをつけているのでしゃべりづらい、声が聞き取りにくいということで、感情というものがどうしても言葉に強く出る傾向があるらしいんです。

    口数は少ないけど強い言葉を使うとなると、感情の機微を言葉で表すことができなくなってくる。自分の心情を表す表現や、情緒的な「あわい」のようなものを表現をすることができなくなってしまうんじゃないかと思うんです。そこはやはり、読書をしている子とネットばかりしている子とでは、ずいぶん差ができてしまうと思います。

    齋藤 やはり子どもたちは読書をしたほうがいい?

    ひきた したほうがいいと思いますね。ネットがあればなんでも情報を取れると言いますが、そこからこぼれ落ちていく感情の機微みたいなものはネットから得るのは難しい。行間を読むということもなくて、そういうことが極まるとどこかで人生は行き詰る。

    いまの若い子は、話の間が怖くてしようがないと言うんですよね。相手が沈黙してしまうと自分がダメに思えてしまうらしい。そりゃTikTokとかの、矢継ぎ早に画像が入れ替わることに慣れていたら、1分間の沈黙がとても長く感じられてしまう。それはもう、考えるだけの時間を持つことができなくなっているんじゃないかと思うんです。

    齋藤 僕はいま、そういう文化の中で育った子どもたちの人間関係そのものが、「そんなもんでええわ」って当たり前になってしまったら怖いなと恐れています。やはりネットの世界の言葉だけでは社会に出てからは通用しないものですか?

    ひきた 先日のWBCになぜ日本人があんなに熱狂したかというと、僕はたぶん、大谷翔平の使う、きわめて人をリスペクトする言葉や優しい言葉、礼儀正しさというものに対して、忘れていた何かを取り戻すというか、心にしみるものがあったんじゃないかと思うんです。あれ、日本が優勝したこと以上にみんな感動していましたよね。ああいうものに対する憧れというか、なにか大切なものを失っているのではないかという思いがあるんじゃないかな。

    だから大人も子どもも熱狂した。ふだん、きつくて強い言葉にさらされて、そんな言葉ばかり使っていることに対して内心はギスギスしたものを感じていて、だからああいうものを見るとすごく心がホッとすると思うんだよね。本来なら僕たち大人が、子どもたちをそういう気持ちにさせてあげないといけないんですよね。

    齋藤 そうですね。耳が痛いです。

    山根 やっぱり大谷は、言われたからやるんじゃない、体と心と頭がつながっている感じがするから、見ていてすごく気持ちがいいんですよね。

    ひきた 世界中の人が彼を、野球選手としてだけではなく人間として称賛しているじゃないですか。そういうものに対して、彼のどこが素晴らしいかということを僕たちは子どもたちに教えていかないといけないと思います。

    山根 いまの教育だけではダメだということはみんななんとなく感じていて、次の段階にきている感じはするんですよね。

    ひきた 先日専門学校の方の話を聞いたんですが、昔なら、3流の大学でも専門学校よりは上だという感じがあったんだけど、いまは早く手に職をつけて働くほうが良いと考える子どもたちも出てきているんですって。それってやっぱり、なにがなんでも大学に行かないといけないという価値観が変わってきたんじゃないかな。

    齋藤 先日NHKで、一人の人がずっと同じ職でありつづけることはできない時代に入ってきた。転職は当たり前になるし、それだけ業界も変わるし、新しいものを生み出さないといけなくなる。だから生涯を通して学びつづけないと生きていけないというような番組をやっていたんです。それを見て、そんな時代になったのかと思うと同時に、それならば、大学は絶対行かなければいけないとか、そういう固定観念を親御さんたちにもいったんはずしてもらって、手に職をつけるとか、そういう方向で考えていくのもありなんじゃないかとも思いました。そう考えられるようになれば、子どもたちの可能性も広がると思うんです。

    ――数年前のアメリカでの研究ですが、その調査をした年に小学校に入った子どもたちの大半は「いまはない職業」に就くという結果が出たと、内田樹さんがブログかなにかに書かれていて、だからいまの価値観で将来のことまで決める必要はないという趣旨のことをおっしゃっていたんです。これから先、価値観も技術もどんどん変わっていって、ずっと学びつづけないといけなくなるかもしれないときに、学びなおしできるだけの体力というか素地を備えておくことが大切なのかなと思います。

    齋藤 それは最近すごく思います。結局それは、先ほど話が出たように、子どものときにどれだけ豊かな経験をするかという話につながるんですよね。そこまで見据えて、受験教育と同時に、本来の学びの楽しさも伝えていきたいです。

    次回:

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